2013年1月20日
最新LIVE情報
【ご来場頂きましてありがとうございました】
2013.1.20 『Shall we music? --平山透×辻寛子 Duet Night--』 ピアノ
2012.12.2 『con brio! 宮原健一郎 Solo Live in ストロボカフェ』 ピアノ
2012.11.10 富永草野病院 第104回ロビーコンサート ピアノ
2012.10.4 松岡里奈First Live『始発』@ちょっとしたカフェ上石神井 ピアノ
2012.9.15 『COSMOS〜ロシアと自然と音楽と〜』電子ドラム・コンピュータ演奏
2012.5.18&19 『宮原健一郎 First Live in カヤバ珈琲 ーひとりでできたね!ー』 ピアノ
2012年9月15日
コンサート「COSMOS 〜ロシアと自然と音楽と〜」
2012年7月 5日
2010年6月26日
2010年4月 8日
2010年3月21日
走馬燈
走馬燈〜序曲〜
http://tatsto.com/music/soumatou-jokyoku-.mp3 走馬燈〜桜〜
2010.3.19〜21 劇団エムキチビート「FightAlone Vol.2」出演
和田亮一「走馬燈」挿入曲
音色をピアノにちかいものだけにしぼり、
現代的な手法でのアプローチを行いました。
ピアノの素朴さが凶暴になる瞬間を
劇の台本とリンクさせています。
2010年1月29日
たまがわがまた。

※下の「続きを読む」からみることが出来ます。
「たまがわがまた。」 1'29''
Camera, Edit, Music, Direction : Kawai Tatsto
Performer : Yoshimura Yuri, Yoshimura Maya
去年の9月に撮影した、東京での初映像作品になります。
僕はとても「地域」というか、その「土地」に興味があって、
おそらくこの感覚は、小さい頃に引っ越しが多かったからだと思うけれど、
「東京」という漠然とした土地に僕は居るんじゃなくて、
「多摩川」とか「等々力渓谷」とか、近くにたくさん自然があって、
そんな素敵な場所に住める喜びを、形にしたいなと思って撮影しました。
住んでる場所で必ず一回以上は、その土地をテーマにした作品を作ってます。
9月に撮影してから、結局編集して音楽つけるのが今年になってしまって。
撮影ですごくいい画はとれたんだけれど、今まで編集できなかったのは、
おそらく、自分自身がまだ精神的に
東京に居ることができてなかったんだと思います。
やっと、自分の住処だと言えるようになって、
ようやく完成させることができたんだと思います。
何はともあれ、見て下さい。
中学が一緒だった友人の双子姉妹に出演していただきました。
とても綺麗。同じ東京の地で活躍するダンサーです。
タイトルから想像していただけるとおり、
映像の全体的な構成であったり、音楽のテーマメロディであったり、
もちろん出演していただいたお二人であったりが、
シンメトリーなのです。
もうひとつ、多摩川で撮りたかった理由があって、
エンターブレインの漫画誌「Fellows!」に連載中の
「たまりば」(byしおやてるこ先生) の舞台が、まさに
この多摩堤で、登場人物であるハルオや、美和パイとかが
ひょっこりこの映像中に出てきそうな感じに撮りたかった
というのがあります。
現実なようで非現実なような感じが、
二人の衣装とか、妖精っぽさとか、
そんなところから感じてもらえれば嬉しいです。
続きを読む: たまがわがまた。
2010年1月13日
2009年12月 8日
第28回新潟大学音楽科定期演奏会 撮影・DVD化

年末はコンサートが多くなり、たくさんのコンサートに伺わせていただいています。
・新潟大学教育学部音楽科(出張撮影)
・新大室内合唱団(出張撮影)
など。
3台のカメラと会館のDAT録音を合成編集しますので、
最高音質・きれいな映像でお楽しみ頂けます。
2009年8月 6日
大学時代制作MaxMSPパッチ
・【t3.round】「小数点第一位を四捨五入する」パッチ

Max/MSPには四捨五入するオブジェクトがないのでつくってみました。
四捨五入する桁を替えたい場合は、入力する数値をあらかじめ操作すればOKです。
[download]
・【V-4】「Roland V-4」MIDI操作用パッチ

ビデオミキサRoland V-4をMIDIで操作するためのパッチです。
NoteModeをON、VideoFaderをCC10、
Transformer-AをCC1、Transformer-BをCC2に設定してください。
入力切替とフェーダ操作ができるだけの基本的なものです。
[download]
・【tempo-changeable-midi】

「ライブ演奏のテンポの揺れを検知して、

Max/MSPには四捨五入するオブジェクトがないのでつくってみました。
四捨五入する桁を替えたい場合は、入力する数値をあらかじめ操作すればOKです。
[download]
・【V-4】「Roland V-4」MIDI操作用パッチ

ビデオミキサRoland V-4をMIDIで操作するためのパッチです。
NoteModeをON、VideoFaderをCC10、
Transformer-AをCC1、Transformer-BをCC2に設定してください。
入力切替とフェーダ操作ができるだけの基本的なものです。
[download]
・【tempo-changeable-midi】

「ライブ演奏のテンポの揺れを検知して、
用意しておいた伴奏のテンポに反映させる」パッチ
テンポ4分音符170の曲のMIDI伴奏をライブのテンポに合わせる為につくったので、
一般化はされていないプログラムです。どうぞ改変してお使い下さい。
Max/MSPはMIDIフォーマット0しか扱えないので、
変換して読み込んで下さい。
[download]
・【mugen-onkai】無限音階(シェパード・トーン・スケール)生成パッチ

音色的音高(トーン・ハイト)を固定しながら、音楽的音高(トーン・クロマ)を
変化させて無限音階をつくったり、それらを逆方向に変化させたりするパッチです。
※Max/MSP5以上必須
[download]
テンポ4分音符170の曲のMIDI伴奏をライブのテンポに合わせる為につくったので、
一般化はされていないプログラムです。どうぞ改変してお使い下さい。
Max/MSPはMIDIフォーマット0しか扱えないので、
変換して読み込んで下さい。
[download]
・【mugen-onkai】無限音階(シェパード・トーン・スケール)生成パッチ

音色的音高(トーン・ハイト)を固定しながら、音楽的音高(トーン・クロマ)を
変化させて無限音階をつくったり、それらを逆方向に変化させたりするパッチです。
※Max/MSP5以上必須
[download]
2009年8月 5日
大学時代制作映像
・「ARTERY」(2008)
グループ制作。テーマ「破壊と再生、順行と逆行」
・「NonStageTheater」CM(2007)
・「書作と表具」(2006)
新潟大学書道科 第39回書道科展(2006.12.23-25)のための制作記録ビデオ
2009年8月 4日
大学時代制作音源
・「NonStageTheater」BGM集
野外演劇プロジェクト企画参加時に制作したもの(2007.10)
・「Love Earth」
DTMの友人しもつき氏とのコラボ作(2009.1)
・「ともだち」
Love Earth Music Festivalオリジナルソング(2008.12)
その他は、
2009年8月 3日
大学卒業制作
・〈DApendulum〉
〜 for Flute, Max/MSP & Objet
・〈DAreflex〉
〜 for Chorus, Japanese Drum & Max/MSP
http://tatsuto.way-nifty.com/blog/2009/03/dareflex-8464.html
2009年8月 2日
中高生時代の音源(フリー音源として公開中)
主に、中学〜高校時代に制作した音源です。
一部大学に入ってからのものもあります。
フリー音源として公開しておりますが、
使用する場合はぜひご連絡下さい。
2009年8月 1日
1or0, DorA?
コンピュータや携帯電話といった、デジタルコミュニケーションツールに囲まれた世代に生まれ、それを使うことを余儀なくされている...と悲観的に感じている人はどれだけの少数派だろうか。特に我々若者の世代で。
私はパソコンを13年間・携帯を8年間使い続けてきた。きっと、普通の人が使うよりパソコン・携帯を酷使してきたし、「それがなければやっていけない」と好意的に思っていた。だが、人間ある程度行き着くところまでいくと、その反対を欲するようで、デジタル機器に囲まれない生活をしてみたい、という贅沢を考えてしまう私に気づくのである。最近では「それがなければやっていけない」と"悲観的に"思うようになった。
ならば実行してみればいいじゃないか、と考えてみた。パソコンを開いてWeb閲覧をやめることはできるかもしれない、携帯を持ち歩かないで音信不通になれるかもしれない。だけれども、私が抱える一番の問題は、私の音楽が「コンピュータ音楽」であるということである。使いたくないコンピュータを使わなければ自分の音楽ができない、ということがひねくれた問題であり、皮肉である。
ギタリストであるジミ・ヘンドリックスがギターに火を着けた気持ちが、今分かるような気がする。デジタル機器との関わりを絶つことの出来ない私は、自身への戒めとして、ノートパソコンを物理的に"つるし上げ"、"揺さぶる"オブジェを制作した。→学生時代のブログ記事
少なからず数年後には、大半の人が「悲観的な」デジタル機器への関わりを感じはじめることだろう。私のように「コンピュータ音楽」について悩む人はいないだろうから、その多くは、デジタルコミュニケーションの飽和によるものだと思う。
mixiをはじめとしたSNS、Web2.0の立役者であるブログ、最近流行のTwitter、メールによるコミュニケーション、モバイル端末の普及と技術発展によるネットアクセスの簡便・高速化。文字ベースのコミュニケーションから、画像・動画などのよりリアル(に感じられるよう)なコミュニケーションへ、進展はしているが...
どんなにデジタルはいくら技術が進歩し続けても、デジタルの域は超えられない。やはり、リアルではない。それはもうみんな薄々気づいているのだ。ただ、気づかないふりをして、行き着くところまで行かないと、歴史は動かない。
歴史の流れは右に行ったり左に行ったり、
真ん中で止まることは決してない、
振り子のようだ。
歴史が動いてデジタルの次にやってくるものはいったい何だろう。
私が考えるに、それはデジタルを超えるデジタルであり、それは「アナログ」である。
ここで言う「アナログ」とは「超デジタル」である。現在、デジタルと対になって、かつ見下されて考えられている「反デジタル」のアナログとは違う。未だ、IT革命の余波に浸っていたり、デジタル神話を信じてやまない人は到底これを実感として感じられないだろが、数年後の飽和状態になった後に認知される「アナログ」は、アナログとデジタルの立場が逆転した後のものである。そうか、そうなると「デジタルとは、アナログを表現するツール」と胸をはって言えることになるのだ。
それをふまえて、私はこのオブジェをつくって気づいたことが2点ある。
まず、なぜ私がパソコンをつるし上げようと思ったのか、である。これは、アナログを軽んじていた私への戒めであり、デジタルを皮肉に扱うことでのアナログ優位性を示すためにつくりあげたオブジェなのだろう。
また、自分で言うのも何だけれど、同じ学年の中で一番コンピュータを扱うことが出来た私が、どうして工学部などのコンピュータを専門に取り扱う分野に進まず、音楽に方向を向けたのか、が分かった。この選択をしたのは高校2年生の時だ。工学部に進もうと漠然と思っていたのだが、それがどうしても嫌になったのだ。そのときなぜそう思ったのか自分でも分からなかった理由は、今この考えにあると思う。
コンピュータを専門にしてしまえば、デジタル神話へ荷担してしまうことになる、それが嫌になると薄々気づいていたのだと思う。でも、そのときはデジタル機器大好きだったから、それに気づきたくない、という気持ちの狭間で訳分からなくなっていたのだと思う。このしこりがとれるまでに5年かかった訳だ。コンピュータ音楽であれば、アナログの音楽を生み出すための「ツール」ですむ。
技術は取り入れなければいけないが、それに完全に蝕まれてはいけない。
よりリアルな意思疎通、リアルな音楽を求めて、私は生きていきたいと思う。
河合達人(kawai tatsto)
(2008年7月記す、2009年8月加筆修正。)
私はパソコンを13年間・携帯を8年間使い続けてきた。きっと、普通の人が使うよりパソコン・携帯を酷使してきたし、「それがなければやっていけない」と好意的に思っていた。だが、人間ある程度行き着くところまでいくと、その反対を欲するようで、デジタル機器に囲まれない生活をしてみたい、という贅沢を考えてしまう私に気づくのである。最近では「それがなければやっていけない」と"悲観的に"思うようになった。
ならば実行してみればいいじゃないか、と考えてみた。パソコンを開いてWeb閲覧をやめることはできるかもしれない、携帯を持ち歩かないで音信不通になれるかもしれない。だけれども、私が抱える一番の問題は、私の音楽が「コンピュータ音楽」であるということである。使いたくないコンピュータを使わなければ自分の音楽ができない、ということがひねくれた問題であり、皮肉である。
ギタリストであるジミ・ヘンドリックスがギターに火を着けた気持ちが、今分かるような気がする。デジタル機器との関わりを絶つことの出来ない私は、自身への戒めとして、ノートパソコンを物理的に"つるし上げ"、"揺さぶる"オブジェを制作した。→学生時代のブログ記事
少なからず数年後には、大半の人が「悲観的な」デジタル機器への関わりを感じはじめることだろう。私のように「コンピュータ音楽」について悩む人はいないだろうから、その多くは、デジタルコミュニケーションの飽和によるものだと思う。
mixiをはじめとしたSNS、Web2.0の立役者であるブログ、最近流行のTwitter、メールによるコミュニケーション、モバイル端末の普及と技術発展によるネットアクセスの簡便・高速化。文字ベースのコミュニケーションから、画像・動画などのよりリアル(に感じられるよう)なコミュニケーションへ、進展はしているが...
どんなにデジタルはいくら技術が進歩し続けても、デジタルの域は超えられない。やはり、リアルではない。それはもうみんな薄々気づいているのだ。ただ、気づかないふりをして、行き着くところまで行かないと、歴史は動かない。
歴史の流れは右に行ったり左に行ったり、
真ん中で止まることは決してない、
振り子のようだ。
歴史が動いてデジタルの次にやってくるものはいったい何だろう。
私が考えるに、それはデジタルを超えるデジタルであり、それは「アナログ」である。
ここで言う「アナログ」とは「超デジタル」である。現在、デジタルと対になって、かつ見下されて考えられている「反デジタル」のアナログとは違う。未だ、IT革命の余波に浸っていたり、デジタル神話を信じてやまない人は到底これを実感として感じられないだろが、数年後の飽和状態になった後に認知される「アナログ」は、アナログとデジタルの立場が逆転した後のものである。そうか、そうなると「デジタルとは、アナログを表現するツール」と胸をはって言えることになるのだ。
それをふまえて、私はこのオブジェをつくって気づいたことが2点ある。
まず、なぜ私がパソコンをつるし上げようと思ったのか、である。これは、アナログを軽んじていた私への戒めであり、デジタルを皮肉に扱うことでのアナログ優位性を示すためにつくりあげたオブジェなのだろう。
また、自分で言うのも何だけれど、同じ学年の中で一番コンピュータを扱うことが出来た私が、どうして工学部などのコンピュータを専門に取り扱う分野に進まず、音楽に方向を向けたのか、が分かった。この選択をしたのは高校2年生の時だ。工学部に進もうと漠然と思っていたのだが、それがどうしても嫌になったのだ。そのときなぜそう思ったのか自分でも分からなかった理由は、今この考えにあると思う。
コンピュータを専門にしてしまえば、デジタル神話へ荷担してしまうことになる、それが嫌になると薄々気づいていたのだと思う。でも、そのときはデジタル機器大好きだったから、それに気づきたくない、という気持ちの狭間で訳分からなくなっていたのだと思う。このしこりがとれるまでに5年かかった訳だ。コンピュータ音楽であれば、アナログの音楽を生み出すための「ツール」ですむ。
技術は取り入れなければいけないが、それに完全に蝕まれてはいけない。
よりリアルな意思疎通、リアルな音楽を求めて、私は生きていきたいと思う。
河合達人(kawai tatsto)
(2008年7月記す、2009年8月加筆修正。)