河合和明(かわい・かずあき)
1936年8月3日 東京生まれ
日大工学部機械工学科卒業
風力エネルギー協会個人会員
これが発明道楽の原点のような気がする。
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考え付かず、当時中学生の兄に聞いたところ教えてくれて
大いに感心した。
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オートバイの設計をやりたいと思い始める。
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会社から程近い場所で妻が主体のラーメン店を10年行った。
この頃から風車の設計法を模索しはじめる。
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工場勤務で、部品検査課で自動車の歯車の不良品選別、検査法の開発を
しながら、検査道具や検査方法について学び大いに役に立っている。
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一番住みよい所を聞いたところ、伊達市を薦められたので決定。
あらかじめ寒冷地住宅の専門業者を探して、家を退職前に建てて退職後すぐに移転。
熱交換換気装置の試作研究を開始、製作・設置した。
風車2号機設計製作開始。
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床面がどうしても温まらないことがわかったので、
これの改善案実現のために次の家を建てることを決めた。
(船や港が見えるところに以前から住みたかったので、室蘭港を一望できる場所にした。)
高気密高断熱の家として熱交換換気装置を自作、設置した。
半地下空間を使って循環する暖房システムとして満足する結果が得られた。
熱交換換気装置はあらゆる性能を取り込みたかった為に凝りすぎて大型で複雑なものであった。
伊達で大部分が出来ていた風車をテストした。
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室蘭の家は空家のまま。
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1936年8月3日 東京生まれ
日大工学部機械工学科卒業
風力エネルギー協会個人会員
- 4,5歳の頃
- 東京上野で「レオナルド・ダヴィンチ展」を見る
これが発明道楽の原点のような気がする。
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- 9歳の頃
- 戦時中、疎開先で蒸気機関車の研究
考え付かず、当時中学生の兄に聞いたところ教えてくれて
大いに感心した。
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- 小中学時代
- 工作を多数する
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- 高校時代
- 自動車・オートバイに興味を持つ
オートバイの設計をやりたいと思い始める。
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- 大学時代
- 自動車工学を専攻
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- 23歳
- スズキ自動車へ入社(現・株式会社スズキ)
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- 32歳
- 株式会社日本電子機器に転職。ラーメン店開業。
会社から程近い場所で妻が主体のラーメン店を10年行った。
この頃から風車の設計法を模索しはじめる。
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- 43歳
- 退職。鹿児島県西海岸に移転。
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- 46歳
- 風車1号機完成。
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- 49歳
- スズキ精密株式会社に就職
工場勤務で、部品検査課で自動車の歯車の不良品選別、検査法の開発を
しながら、検査道具や検査方法について学び大いに役に立っている。
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- 55歳
- 定年退職、北海道へ移転
一番住みよい所を聞いたところ、伊達市を薦められたので決定。
あらかじめ寒冷地住宅の専門業者を探して、家を退職前に建てて退職後すぐに移転。
熱交換換気装置の試作研究を開始、製作・設置した。
風車2号機設計製作開始。
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- 60歳
- 室蘭市へ移転
床面がどうしても温まらないことがわかったので、
これの改善案実現のために次の家を建てることを決めた。
(船や港が見えるところに以前から住みたかったので、室蘭港を一望できる場所にした。)
高気密高断熱の家として熱交換換気装置を自作、設置した。
半地下空間を使って循環する暖房システムとして満足する結果が得られた。
熱交換換気装置はあらゆる性能を取り込みたかった為に凝りすぎて大型で複雑なものであった。
伊達で大部分が出来ていた風車をテストした。
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- 63歳
- 静岡県磐田市へ移転
室蘭の家は空家のまま。
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- 66歳
- 室蘭へ戻る
- 67歳
- また室蘭に新しい家を建てる
- 67歳
- 前へ進むオールを意匠登録完了
暖房装置は半地下循環式で前の家と同じシステムにした。大変好成績。
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